みなさん、それぞれいろいろな夢を持っていると思います。

例えばスポーツ選手、漫画家、料理人、お医者さん、他にもいろいろ…

叶えたい夢があると、その夢のために勉強を頑張ったり、夢が叶った時のことを想像してワクワクしたりすると思います。

でもたまに、もしその夢が叶わなかったら?という疑問が頭をよぎることもあるのではないでしょうか。

今回はその答えについて私の話をしたいと思います。

子供の頃、私の夢は学校の先生でした。

小学生の頃に担任の先生に憧れて、それ以来ずっと先生になりたいと思っていました。

私は先生になる将来しか想像していなくて、そのために頑張ろうと考えていました。

それでもたまに、無意識くらいに微かにでも、もし夢が叶わなかったらどうなるの?という心の声が聞こえていた気がします。

その内容をもう少し詳しく言うと、もし先生になれなかったら、代わりにどんな事をして生きていくの?

また先生になれなかったら、自分がそれまでに費やした時間や努力を無駄だったと感じてしまうの?と言う不安だったと思います。

でも夢が叶わない未来を考えるのは、逃げというか、よくないことだという思いもあったのかもしれません。

子供の頃はその答えを見つけることができませんでした。

私は小学生の頃から約20年間先生を目指していたので、子供から大人になるにつれてだんだんその問いの答えについて考えることが増えていったと思います。

積極的に答えを探していた訳ではないですが、その答えになりそうな話があれば、私は興味を持っていたと思うのですが…

それでも世の中は成功した人の話ばかりで、夢が叶わなかった人の話はほとんどされない、私はそんなふうに感じていました。

テレビを見ても芸能人やスポーツ選手とか、成功してキラキラしている人たちの話はたくさん見たけど、なりたいものになれなかった人の話は見つけられませんでした。

周りの大人達を見ても、夢の話なんてしていなかったと思います。

本を読んでも、ネットで検索しても、自分の知りたい答えは見つけられませんでした。

結局私の夢が叶ったかと言うと、私の未来は希望通りにはいきませんでした。

簡単に言うと夢は叶わなかったと言えます。

だからもし夢が叶わなかったら?の問いに今なら答えることができます。

それは夢が叶わなくてもきっと先生を目指したし、それまでの時間や努力も大切な経験だったと感じている。

要するに後悔していません。

この答えは自分でも意外です。

どちらかと言うと、先生を目指していた時は、叶わなければ意味がないくらいに思っていました。

先生を目指していた頃より、今のほうがこれまで経験してきたことが結構楽しかったと感じます。

頑張っていた時の方が、それどころではなく苦しかったかもしれません。

私の夢は先生になることだったと言いましたが、どんな先生になってどんな事をしたいかも重要でした。

それは教員採用試験に受かって小学校の先生になって担任を持って定年までバリバリ働いて分かる授業を極める、といった感じです。

本当はもっと細かくここはこうしたいとかここはあまりこだわりはないとか、色々ありますが、ざっくりこんな感じです。

繰り返しになりますが、叶ってないですが…

みなさんは今、夢を追いかけている途中でしょうか?

ただ夢と言うと、普通はなりたい職業のことだと思います。

でも夢というのは職業である必要はなくて、小さなものから大きなものまでたくさんあってよくて、途中で変わってもいいし、新しく生まれてもいいと思います。

もっと自由でいいと私は思っています。

私が小学生の頃、将来の夢を作文に書く授業がありました。

みんな思い思いの内容を書いていましたが、私は始め何を書くか迷いました。

将来の夢という課題が大きくて、将来どんなことをしたいかなんて考えればいくらでもあると思ったからです。

でもその時誰かに直接言われたわけではないですが、これは将来どんな職業につきたいかを書かないといけないのでは?と感じました。

私はその空気を察して小学校の先生と書きました。

もちろん本当に先生になりかったし、大切な目標だったのですが、人生の中の夢の一部であり他にもやりたいことや希望はいっぱいありました。

もしもあの時、私が職業以外のどんなことをしたいかを書いていたら…

例えば毎日漫画をいっぱい読んで暮らしたいと書いたていたら…

ちゃんとした職業と思われること以外を書いていたら、先生にその夢を書き直すように言われてしまったのでしょうか?

もし職業以外の人生の夢を書いてもよかったのなら、私は全然違う夢を書いていたかもしれないと思います。

ちなみに私は3年間小学校の先生でした。

はじめに私の夢は学校の先生でしたと書いたので、これを聞くと夢は叶ったのでは?と思われるかもしれません。

でも詳しい内容は、採用試験に受かって小学校の先生になって担任を持って定年までバリバリ働いて分かる授業を極めるだったので、叶っているとは言えません。

私は教員採用試験には受からず、担任も持っていませんでした。

非常勤講師としていろんな学級に入って授業の補助をしたり、一対一の個別授業や少人数クラスでの授業をしていました。

それは考え方によっては、夢は少し叶ったとも言えるかもしれません。

自分が思っているより0か100かで考えることではないのかもしれません。

私の中では叶った叶わなかったと言うより、途中で違う道を選んだと言う表現の方が近いと思います。

なぜ途中で先生を辞めたかは、今回は置いておきます。

簡単に言うと頭が良くなかったので教員採用試験に受からなかったからです。

でも試験は現役合格する人は少なく浪人する人の方が多いのですが、詳しい話はまた今度にします。

今でも時々、小学校の先生だった頃の事を思い出すことがあります。

私は特に算数が好きで、算数の授業で皆が面白いとか分かりやすいと思ってくれるような授業をしたいと思っていました。

ありがたいことに、算数の少人数クラスを任されていた時があるのですが、結局分かりやすい授業をするどころか自分の授業スタイルが出来上がる前に終わってしまいました。

でも児童達はいつも、よく分かりましたと言ってくれていました。

本当にちゃんと理解してくれていたかは分かりませんが、笑

いろんなことがあリましたが、児童達と一緒に過ごすことができて、先生方にもとてもお世話になって、先生を経験できて良かったなと思っています。

ただどんな学校でもよかったとは思っていなくて、もし違う環境で先生をしていたら、違う感想を持ったかもしれません。

人間なので相性もあるし、私はあの時あの児童たちや先生方と一緒だっからこそ楽しかったと思っています。

結論、もし夢が叶わなかったとしても、意外とそれでもやってよかったと思える。

例え夢に向かって頑張っている時は、叶わないと意味ないと思っていたとしても。

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