子供の頃、学校の作文では本音が書けなかった。

子供の頃、小学校の授業でよく作文を書きました。

それは何かの行事があって、それが終わった後にその感想文を書くと言うのが多かったと思います。

でもその感想文を書くとき、私は本音で感想を書くことができませんでした。

理由は、誰かに言われた訳ではないですが、作文は良いことを書くものだという雰囲気があって、それを感じていたからだと思います。

それは例えばマラソン大会があって、終わったあとにその感想文を書くとかです。

でも私は運動音痴で足も遅かったので、マラソン大会は全然楽しくありませんでした。

でもマラソン大会をしたくなかったなんて絶対に書かけませんでした。

実際にマラソン大会の後に感想文を書いたかは覚えてませんが、運動会とか、遠足とか、とにかくいろんな場面で、本音が書けなくて苦しいと感じていました。

小学生の頃は無意識だったかも知れませんが、特に中学、高校と大きくなるにつれて、そんな思いが強くなっていました。

いつか本音が書けるようになりたい、と思っていました。

そして大人になって、私が小学校の先生をしていた頃も、自分が子供の頃感じていた空気と変わっていないように思いました。

なんとなく、昔も今も本音は書けない空気なんだなと思っていました。

そんな学校教育や、世の中の雰囲気が変わる時は来るのかな?と思います。

でも私も小学校の先生をしていた事があるので、子供たちが感想文にあれが嫌だとかこれが嫌だとか思いのままに書いていたら先生は大変だろうなとも思います。

そもそも、そんなに真剣に学校の感想文で真面目な思いを書かなくてもいいのかも、と考えることもあります。

でもやっぱり、できるなら本当に思っていることを書ける方がよかったなと思います。

それからいろいろな事があって、私はこのブログを始めることになりました。

そしてやっと、ここで自分の思いを書くことができるようになったと思います。

ここに書けないこともたくさんありますが、話したくないことは話したくないと言えます。

だからここでは、今までは話したくても話せなかったことをたくさん書いていきたいなと思います。

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