子供の頃、自分は「いい人間」ではないと気づいた。それを受け入れて生きる。

自分がいい人間かどうか、気になる時があると思います。

そして考えた結果、自分がいい人間ではないと思っても、そんなに落ち込まなくてもいいと思います。

人間にはいいところと悪いところがある、そういうものだからです。

それに「いい人間」がどんなものかも曖昧です。

小さい頃、私は自分がいい人間か悪い人間かをしっかり考えたことはなかったと思います。

でもどちらかというと自分はいい人間だという意識があったと思います。

ただいろいろな経験をしていくと、自分の知りたくなかった一面を知ることもあります。

周りの目とか、その場の雰囲気を感じて自分の意志とは違った選択をしようとしている自分がいたり、

相手が望んでいるであろうことが分かっているのに、相手の期待に応えなかったり、

そんな自分を知って、「自分はいい人間にはなれない」と気づいて絶望感を抱いたことがあります。

なんというか、自分は弱い人間なんだなと思いました。

でも、いくらショックでも、それが自分です。

それを受け止めるしかない。

普段はそんなに困った状況になることがないので知らないだけで、本当はもっと嫌な自分が存在するのではないかと考えます。

そんな時に想像するのが、どこかに知らない人と二人で閉じ込められて出られない状況です。

とてもお腹が空いていて、でも食料はもう少ししかない。

その食料を食べないと私も、もう一人の知らない人も死んでしまうかも知れない。

そんな時、その人に食料を譲ってあげられる優しい自分でありたいけど、多分それはできないと思います。

自分が生き残るために食料を自分の物にしようとすると思います。

でもそんな嫌な自分は見たくないので、そもそもそんな究極の状況にならないようにするための努力をしたいです。

ちなみにその想像の続きは、私は食料を自分の物にするために、本気でもう一人と争います。

でも絶対に勝てません。

それは自分が優しいからではなくて、私は力も弱いし、機転も効かないし、単純に弱いからです。

私が小学校の先生をしていた頃も、全力で走っても小学1年生と同レベルくらいだったし、子供にだって勝てる気がしません。

全力で食料を奪おうとしても、誰と戦っても負ける自信しかありません。

そして負けて悲しんでいると、相手の人が優しくて、食料を分けてくれます。

そんな相手の優しさを知って、また優しくない自分に絶望します。

そんな想像を、私は時々しています。

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