私は毎日仕事が大変で、忙しくて、上手くいかなくて、人生でとても大切にしていたものも失って、苦しくて、寂しくて、終わりのないそんな毎日の繰り返し。
そんなことを考えていると、その感情が私の人生をつくる、そんな気がして、でもそれは嫌だと思いました。
だから私は自分のできる範囲で、人生を前向きなものにするための新しい行動をしようと思いました。
だからこのブログでは、前向きな気持ちになれるような話を書きたいと思います。
楽しいことや嬉しいこと、時には落ち込んだり迷ったりしても、一度休憩したら、肩の力を抜いて、また元気になれるそんな話。
悲しいことや苦しいことも書くかもしれませんが、それは次に繋げるため、また元気になるために書きたいと思います。
私は子供の頃、この世界は、世界の人達は、今よりもっと自分とは遠いものだと思っていました。
自分の悲しみや苦しみを分かってくれる人なんていないと思うと、とても不安でした。
まるで誰にも気づいてもらえず、寂しくて、たまに優しくされたら、その人に全てを預けて理解して欲しくなる。
そしてもっと優しくして欲しくて、私の全てを救って欲しくて…でも願いは叶わない。
そうやって期待しながらも一方でその優しさを疑って、中途半端な優しさは無責任だと嫌っていました。
自分は誰にも分かってもらえないと思って距離をとって、自分は何にも心を動かされない、と気を張っていました。
そうやって気を張って、ずっとずっと今まで生きてきた、はずなんですが…
でも結局いろんな人達やいろんな物事に出会って心を動かされて、勇気をもらってきました。
それは直接の出会い以外にもテレビやネット、SNSなど一方的にこちらが知っているだけの出会いも含みます。
勝手に共感して、感動して、好きになるなんてこともあります。
音楽を聴いて感動したり、絵を見てときめいたり、スポーツを見て歓喜したり、他にも色々。
こんな話、きっと子供の頃の私が聞くと、なんてきれいごとを言っているんだ、自分とは違う世界の話だ!と思うはずです。
今でもそんな子供の頃の心の声が頭の中で聞こえます。
でも、気付けば大好きなものが増えていました。
こんなはずではなかったのですが。
それは子供の頃期待していた全てを分かってほしいという願いとは違うかたちですが、いろんな人達に少しずつ、少しずつ影響を受けて、
心を動かされてその温かさのおかげで私は今まで生きて来れたのだと思います。
誰かに自分の全てを理解してもらうことはできない、自分も誰かを完璧に理解は出来ない。
でも知らなことがあるって、なんて面白くて魅力的なんだろうと今は思っています。
自分のことさえ分からないことも多いですし。
私は友人は多い方ではないですが、それでも小さい頃から仲良くしてくれている幼馴染のような友人や、学生の頃に知り合って今も付き合いがある友人もいます。
子供の頃一緒に過ごしてくれたり、実家を出ても時々連絡をとったり会ったりしてくれる家族もいます。
そんな身近な人達がいてくれることもありがたいことです。
きっと知らず知らずのうちに何度も元気をもらっていたんだと思います。
私はこのブログで自分が経験してきたことや考えていることを書いていきます。
家族や友人達との人間関係の話、先生だった頃の話、一人暮らしの生活の話など、様々な話をしたいと思っています。
ただ本当は書きたくても、今はまだ書けない内容もあります。
それは周りの人も関係していて、自分のことだけでは終わらない話で、いずれは話せたらいいなと思っていることです。
世界には色々な考えの人がいて、私の話は全員に共感はされないかもしれません。
私には、色々なな考え方の人の話をする時に思い出す印象的なエピソードがあります。
私が学生の頃、楽しいと思っていたクラスがありました。
そのクラスでの一年は終わって、また別のクラスで過ごしていた時、私が楽しいと思っていたクラスに居た人が、あのクラスは楽しくなかった、と話しているのを聞いてしまったのです。
その時ひとクラス、数十人でさえ同じ思いを共有できないこともあると実感しました。
そして最近、さらに世界には自分の想像以上にいろんな考え方があるのかもしれないと思うようになりました。
でも色々な考え方の人達がいるからこそ、大多数には共感されなくても、誰かが知りたいと思うような話をしたいと思います。