人の気持ちは曖昧
よくニュースなどで、LGBT法案が話題に取り上げられていて、
みなさんがいろいろな意見を言って話合いをしているところを見ます。
私はその法案の内容はよく分かっていないし、
ニュースもなんとなく見ている程度ですが、
そういう話題が出た時、いつも思うことがあります。
それは、
「人の気持ちはとても曖昧だ」
ということです。
LGBT法案の内容とは少し話がずれるかも知れませんが、
好きとか恋とか愛とか、
人の気持にはかたちがなくて、
証明できるものもなくて、とても曖昧だなぁと思います。
これまでの当たり前
自分が子どもの頃、小学校では当たり前のように児童は
男子と女子
に分けられていました。
友達同士で「誰が好きか」という話になっても
異性を好きになる前提
で話をしていました。
私もそれが当たり前だと思っていたし、誰かを好きになった時、
これが恋愛の「好き」なんだと思っていました。
それは自分の中ではっきり恋愛の好きだと感じていたし、
他の人たちもきっと人を好きになったら同じような感覚なんだと思っていました。
「好き」の感覚とは?
でも、実際はどうなのかなと思います。
大人になって改めて考えてみると、
もしかしてこの「好き」の感覚も
人それぞれかなり違いがある
のかも知れません。
それに私自身も、自分でははっきり「恋愛の好き」だと感じても、
それを上手く言葉で説明できないし、証明できるものがありません。
かたちがないので他の人に証拠として見せられるものがありません。
それに好きな人がいても、その「好き」が
いつから「恋愛の好き」
になったのかも分かりません。
さらに「好き」と思った感情の
何%が「恋愛の好き」
で、
何%が「人としての好き」
なのかも分かりません。
「好き」の感情の中にもいろいろな種類の「好き」が混ざっている気がして、
複雑過ぎて私には分かりません。
私の「好き」はそんな感覚ですが他の人は違うのでしょうか?
「好き」を証明できる?
はっきりと「恋愛の好き」とそれ以外の好きを区別できて、
自分以外の人にもそれを証明できる、
目に見える証拠
を持っている人もいるのでしょうか?
最近私はそんなことを考えています。