小学生の頃、小学校でいろんな教科を勉強してきました。
そこには答えがあって、点数をつけられてきました。
またいろんなことについて話す時も、たいていはどの意見が良かったか評価をつけられてきたと思います。
そんな風に学んできたからか、私は何となく学校の授業には答えがあるものだと思っていた気がします。
だから授業ではっきりした答えが聞けなかった時、モヤモヤしていたように思います。
それから大人になって、私は小学校の先生になりました。
いろんな学校に勉強に行ったり、働いてきました。
その中で先輩の先生の授業を見て勉強していた時、子供の頃に感じていた、はっきりしないモヤモヤを感じたことがありました。
それは一つのテーマがあって、それについて児童たちが意見を出し合って話し合うという授業でした。
その授業では児童たちがそれぞれの意見を言いましたが、結局話はまとまらず、ただ自分の意見を話しただけで終わってしまいました。
私にはこれがどういう授業だったのか分かりませんでした。
気になったので、授業が終わった後私は先輩の先生に「この授業の答えはなんだったのですか?」と質問しました。
すると先生は少し驚いた様子で、「答えを見つけなくてもいいんだよ」と教えてくれました。
話し合いで、必ずしも答えを見つける必要はなく、自分がどう思っているか考えたり、どんな意見があるか聞くだけでもいい。
そういう授業だったようです。
今まで答えがあると思っていた私からすると、何かもの足りない気もしましたが、そういう考えもあるのかと思いました。
そして自分が小学生だった頃を思い出しました。
先輩の先生は、私の小学生の頃の先生ではないので私が受けてきた授業とは関係はないです。
でももしかしたら、私が小学生の頃受けてきた授業も、答えを見つけるためのものではなかったかもしれないと思いました。
もしそうなら、話し合いのはじめに「答えを見つけなくてもいい」と先生に言って欲しかったと思いました。
私は小学生の頃、授業でいつも答えを探していた気がします。