今回は特別支援学級での体育の授業について話します。
特別支援学級は障害のある児童を対象にした少人数の学級です。
私は小学校の先生だった頃、いろいろなクラスのサポートに入っていて、特別支援学級でも授業をしていました。
中でも特別支援学級の小学校6年生の児童との体育の授業は印象に残っています。
その子は物を作るのが好きで、私は図工の授業もよくしていましたが、体育の授業をすることもありました。
特別支援学級の担任の先生には、なるべくこの子がしたいと思っていることをさせてあげて欲しいと言われていました。
特に体育は何をするか決まっていなくて、その時児童が何をしたいか決めて、それをするといった感じでした。
そしてその子はだいたい決まってごっこ遊びをしたいと言いました。
それは児童と私の2人で体育館に行って、その子がマットを使ってお城を作ります。
お城といってもマットで作られているので、見た目は積み上げたマットなのですが、その子の頭の中ではお城が見えていたのだと思います。
そしてその子は猫の殿様役で、私は家来のネズミ役でした。
猫の殿様のことを私は「殿」と呼んでいて、ネズミ役の私は「チュー」と呼ばれていました。
殿はよくお城の最上階にいました。
マットを積んだ一番上に、屋根みたいに三角に折ったマットがあり、その隙間にマットの扉を付けて、そこに居るのがお気に入りのようでした。
家来のチューは、殿にいろいろな指令を出されました。
寒い雪の日に、遠くまでお使いに行かされることもありました。
実際は何もない体育館に、いろいろな物があることを想像して、まるで長い道のりを歩いているような動きをしながら、マットの近くをグルグル歩いていました。
料理をするのもチューの仕事でした。
私はその場にキッチンがあることを想像して、食材を切ったり、鍋やフライパンで料理をしているふりをしました。
こんなごっこ遊びを、2人で何時間もしていました。
でもこのごっこ遊びをするのは、私は本当に恥ずかしかったです。
子供の頃は、私も友達とごっこ遊びをしていた記憶があります。
でも大人になってからごっこ遊びをするのは初めてでした。
子供の頃は自然とできていたはずなのに、大人になると照れもあったり、どうしていいかわかりませんでした。
私は子供の頃に、「大人になっても全力で遊べる大人になりたい」と思っていたので、何だか自分が変わってしまったみたいで少し悲しかったです。
でもその子は真剣に遊んでいたので、私もそれにつられて段々ごっこ遊びにも馴染んできたように思います。
それはその子が優しかったことも大きいと思います。
私はやっぱり大人になっても真剣に遊ぶって大切なことだなと思いました。
授業が終わった後に私は毎回どんな授業をしたか、内容を紙に書いて特別支援学級の担任の先生に報告していました。
一度別の先生に、その授業を見てみたいなと言われました。
結局誰かにその授業を見られることはなかったのですが、流石に先生に見られながらごっこ遊びをするのは緊張して私はできなかったと思います。
そしてどうせなら授業を見に来るのではなく、ごっこ遊びに参加してもらえるならその子も喜んだかもしれないと思います。
あの体育の授業は、私にとって特別な体験でした。