今回は小学校の先生だった私が、学生時代に出会って来た先生方の中から、高校の英語の先生の話しをしたいと思います。
その先生は英語の授業がうまくて話も面白い方でした。
私は英語があまり得意ではなかったので、英語の授業もそんなに好きではありませんでしたが、
その先生の授業は分かりやすくて、これまでより英語が楽しいと感じていました。
授業は基本的にクラスごとで受けますが、途中からクラスを跨いで成績で英語のクラスが決まるようになりました。
その英語の先生は1番成績がいいクラスで授業をされていたので、私もそのクラスにいて頑張って勉強していました。
でもある時いきなり先生の入れ替えがあり、その授業がうまい英語の先生が下のクラスに行ってしまいました。
代わりに来られた先生は授業がうまいとは思えませんでした。
授業ができない訳ではないですが、でもやっぱり授業がうまい先生との違いをとても感じました。
それは他の生徒も同じだったようで、「わざと悪い成績をとって、授業がうまい先生のクラスに行こうかな。」と話している人もいました。
私も自分の英語の成績が落ちたら授業がうまい先生のクラスに行けるのになと考えました。
それを実行したかどうかは忘れてしまいましたが、せっかく勉強を頑張っても、
もうあの先生の授業が受けられないと思うと、なんの為に頑張っているのだろうと思いました。
もちろん自分の為の勉強だとは思います。
授業がうまい英語の先生も「勉強は自分でするもの」と言う考え方をされていました。
でも私たち生徒がその先生の授業を受けたいことは先生自身も分かっておられたはずです。
一体先生たちの間でどんな話をして、どんな意図でこんなことになったのでしょうか?
勉強を頑張っていい成績をとればとるほど、受けたい先生の授業を受けることができないなんて矛盾してます。
高校生だったあの頃の私にはどうすることもできなかったけど、やっぱり今でもそう思います。