夏休みの宿題がなかなか終わらずに、最後の方で必死に頑張る、というのはよくある話だと思います。
宿題が最後まで終わらなかった人は多いと思いますが、その理由は人それぞれだと思います。
私も子どもの頃、いつも夏休みの宿題が最終日まで終わらずに、最後まで焦っていました。
そして大人になって、どうしていつも最後まで宿題を後回しにしてしまっていたのだろうと考えました。
私の場合は、宿題を頑張ってはじめの方に終わらせたいという気持ちはありました。
でも私の「夏休みの宿題」に対するイメージは、とても量が多くて難しいもので、間違えてはいけないもので、理解しないといけないものでした。
しかも普段は勉強しない未知のものも含まれていて、特に自由研究なんて言葉の響きはいいですが、自由なんて逆に何をすればいいか分からない。
とにかくそんな、とても気持ちの重たいものでした。
今思い返しても恐ろしいです、笑。
そんな当時を振り返って思うことは、「もっと適当で良かった」です。
夏休みの宿題なんて、もっと適当に早く済ませて、もっとたくさん遊べば良かった!
真面目と言えば聞こえはいいけど、自分はなんて要領が悪かったんだろう。
もっと自分の好きなことをして夏を楽しみたかった…
大人になって、小学校の先生として働く経験もして、今の私の感想がこれです。
適当というのはいい加減とか、サボるとかではなく難しく考えなくてよかったと言うことです。
例えば私は算数が好きでした。
小学校の頃は成績もどちらかと言うといい方でした。
それでも夏休みの算数の宿題でさえ私には気が重いものでした。
計算ドリルや文章問題がよくある宿題ですが、私はそれが全て解けるまで次に進めないものだと思っていました。
でもいくら頑張って考えても全ての問題を解くのは難しいし、自分には無理だった思います。
でもそれをなんとかしようとしてずっと立ち止まっていた…
今思うと、分からない問題はある程考えて、それでダメならさっさと次の問題を解いて、答え合わせの時に確認したらよかった。
でも誰かに言われた訳ではないのに、とにかくちゃんと回答しないといけないという思いに縛られていました。
いくら考えても、わからないものは分からないのに。
そして自由研究の「自由」という言葉は、私にとって不安でした。
何をしたらいいか正解がわからない。
誰に言われた訳ではないけど、とても難しいことをしないといけないという気がしていました。
そして周りからもすごいと認められるものでないといけない…
そう思うととても手をつけることができませんでした。
今思うと、もっと簡単でよかった。
難しいことをしようとして、結局完成しなかったり、楽しくないことをするくらいなら、もっと簡単でよかった。
そしてせっかくなら、他人にどう思われるかより、自分が本当に興味があることを研究すればよかった。
そう思いますが、子どもの頃には分からなかったことだし、子どもだけでは出来ないこともあるので、あくまで大人になってからの感想ですが…
それに、当時はそれが普通だと思っていたので、自分が真面目だとか、要領が悪いとは思っていませんでした。
とにかくちゃんとしようとしていて、すごいことをしようとしていて、自分にはそんな時間も力もないことに気付けなかった。