自分が暮らしている世界に、気の合う人がいなくて生きづらい、苦しいと感じる人もいると思います。
そんな時、なんだか世界中のみんなが自分のことを認めてくれないと不安な気持ちになることもあると思います。
私自身もみんなと気が合ったり、誰とでも仲良くなれるタイプではないです。
自分は誰とでも仲良くしたいと思うのですが、現実はそんなにうまくいきません。
私は小学校の先生をしていた時もそれは感じていて、やっぱり私のことをあまりよく思っていない児童もいたと思います。
ただいくら人気のある先生でも、全員と気が合うわけではないと思うので、人間てまあそんなものだと思っていました。
でも気が合わない児童がいるということは、逆に自分のことをいいと思ってくれる児童も必ずいます。
たくさんの児童たちと日々を過ごしている中で、私はそう実感しました。
いろいろな学級に入ったりすると、「この児童たちは私のこと認めていないな」と感じることもあります。
なんとなく全体的に感じる重たい空気感というのがあって、でもそんな中、思いもよらない視点から声をかけられることもあります。
その児童からはプラスの雰囲気が感じられて、こういうのを「気が合う」というのかなと思いました。
なんというか、みんなから感じる重たい雰囲気なんか気にもせずに、私のことを肯定してくれる、そんな感じです。
それは普段からよく関わりがある児童とは限らず、ほとんど話したことのない児童の場合もあります。
私がたくさんの児童と関わってきたと言っても、何百人とか何千人とかの話です。
だから自分が今暮らしている範囲の、小さな世界の中で気が合う人がいないと感じても、何億人もの人たちがいるこの地球なら、
きっと誰かは、自分と気が合うはずだと思います。
確かに大人より子供のほうが考えていることが分かりやすかったり、大人と仲良くなりやすいというのはあると思います。
それを考えたとしても、やっぱりこの地球にはきっと他にも自分と気が合う人はいるはずだと思います。
私は上手くいかないことがあったり、落ち込んだ時、そんなことを思い出します。
だからこの話を読んでくれている人にも、きっとまだ会ったことがない気が合う誰かがいるはずです。
そしてこの話を聞いて共感できた人は、私と気が合うかも知れません。
私と気が合う人は少ないと思うので、きっと珍しいタイプの人です。